■経歴
桐蔭学園高 → カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)
高校まで常に激しい競争の中でラグビーを続けてきた星一晴さん。そのような状況下に身を置いていたからこそ、危機感を覚えて自分の将来を考えるようになったと言います。ラグビーひと筋の生活からアメリカの大学へ進学を決意した星さんのお話をお聞きしました。
<アメリカに導かれて>
幼い頃にラグビーを始め、高校3年生までラグビー漬けの毎日を過ごしていました。そんな僕に転機が訪れたのは、高3になる直前のこと。父がアメリカへ転勤となり、家族全員でアメリカへ移ることになったのです。その頃の僕は進学を控え、このまま大学へ進んでまたラグビーを続けるのかどうかという葛藤を心に抱いていました。これまでラグビー優先できちんと取り組んでこなかった勉強をしっかりしたいという思いを持ち始めた時、そこに訪れた渡米のチャンス。僕はそのチャンスを活かして英語を習得し、アメリカの4年生大学で学ぼうと決心したのです。
<自分の武器を探すために>
アメリカの大学を目指したのは、自分の武器を探すためでもありました。ある時、両親から言われた言葉があります。「一晴にはラグビー以外に何がある?」と。自分でも痛いところを突かれたなという気持ちになったことを覚えています。ラグビー選手としてプロを目指しているわけではなく、社会人になる将来を描くことができずにいたのです。僕は自分の武器を探すため、時間と努力を英語に費やし打ち込もうと考えました。思い返してみると、ラグビーを通じて行った国際交流で英語を使ってコミュニケーションをしたことが、ラグビー人生で一番楽しい出来事でした。
<自由という舞台>
アメリカでの生活は、ひと言で言うと「自由」。日本のように過剰な根性論や上下関係はありません。しかしそれは逆に、自分を叱ってくれる人がいないことを意味します。ですから、自分で選択し、選んだことに責任を持ち、バランスコントロールをしっかりしなくてはいけません。僕はアメリカの「自由」という舞台で、選択肢が広がり責任を持つことで成長できたと思っています。もちろん日本でラグビーを続けることで得る成長もあったでしょう。しかし、アメリカでの留学生活を送る中で、日本とアメリカでは自分を成長させてくれる舞台が大きく違うことを実感しました。
<アメリカ生活で苦労したこと>
アメリカでの生活で苦労したのは、渡米した直後に何も身動きがとれなかったことです。家族全員英語ができなかったので、携帯電話も契約できない、ハンバーガーも頼めないといった状況でした。英語が話せない上に、アメリカでの生活は初めてのことばかり。1から築き上げていく大変さを知りました。しかしその大変さは今となっては、新しいことに挑戦する楽しさへと変わっています。
<これから留学する皆さんへ>
部員数が100人ほどいた高校時代は競争が激しく、3年生で初めてスターティングメンバーとして試合に出場することができました。このような熾烈な争いの中で、僕はいつも危機感を持っていました。ラグビーの推薦で大学へ行けるとは思えず、自分の将来のために自分で準備をしないといけないと考えていたのです。もちろんラグビーをずっと続けていくことは素晴らしいこと。その中でただラグビーだけにとどまるのではなく、セカンドキャリアにも目を向けることができたら、よりよいのではないかと思います。アメリカは文武両道が基本。そういったアメリカの精神に触れることは、自分の将来を見据える感性を磨くことにもつながると感じています。
僕自身の今後は、「何歳までにこれをして」というようなプランを具体的に思い描いているわけではありません。というのは、チャレンジを制限したくないからです。英語は自分のオプション。それを活かして仕事をするのは楽しみでもあります。今のチャレンジが新たなチャレンジにつながると思うので、これからもチャレンジし続ける人生でありたいと考えています!
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