■経歴
サンディエゴ州立大 → サンフレッチェ広島 → 名古屋グランパスエイト → アサヒ飲料チャレンジャーズ(アメフトXリーグ) → トヨタ自動車ヴェルブリッツ → 神戸製鋼コベルコスティーラーズ → パナソニックワイルドナイツ
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アメリカの大学で日本人留学生として、同校初のアスレティックトレーナー認定やストレングス&コンディショニングスペシャリスト認定を取得した渡部龍也さん。サッカー界からラグビー界へ転向し、様々な経歴を持つ渡部さんに、留学、そして人生における成功の秘訣をお聞きしました。


<アメリカ留学を決めたきっかけ>
サッカーに打ち込んだ中学、高校時代、サッカーのコーチングを学ぶ為に当時の西ドイツに留学したいという漠然とした夢がありました。ですがあまりにも非現実的であり単なる夢として消えていきました。その後将来に対する何の明確な目標も無く日々が過ぎていく中、たまたま読んだ雑誌でアメリカ留学のアスレティックトレーナーに関する記事を見つけたのです。それを見た私は、それまで考えたこともなかったアメリカへの思いが突如沸き起こったのです。当時、アスレティックトレーナーという言葉自体日本では普及しておらず、それを目指すプログラムを提供する教育機関は当然存在しませんでした。また、当時の日本の大学というものは、一度入学したら卒業までの4年間は社会人になるまでの遊びの期間といった風潮がまだ一般的だったのです。そんな風潮に対して違和感があり、また若いうちに海外で生活をしてみたいという夢がまだ自分の中にまだ残っていました。アメリカの普通の大学は日本と逆で卒業するのは大変だが、英語さえ何とかすれば入学自体は難しく無いと聞いていたので、それなら英語力を身に付けて日本には無いものをアメリカの大学でしっかり勉強しようと考え米国留学目指すことを決めました。

渡米を決めたはいいが、当時の私の英語力はとてもアメリカの大学で授業を受けれるレベルではありませんでした。至って普通の日本人レベルですから、言葉の問題でアメリカなら高校どころか中学の授業にもついていけなかったでしょう。そのため行くと決めてからは一念発起し、1日10時間以上でも英語の勉強に費やすこともしばしばありました。おかげで半年も経たずに米国大学留学に必要なTOEFLも基準点を上回ることができたのです。ただし、当時英語の勉強はしていましたが、英語はあくまでも大学で学び・生活をしていく為の手段であって目的ではないという認識は忘れないようにしていました。そのため日本の典型的な英語勉強法のように文法と単語を暗記し、”日本語に訳す”ようなやり方は出来るだけ避け、英語でインプットされたものは頭の中で英語で理解するように努めました。ですから当時使っていた辞書は英和辞書と和英辞書などではなく、出来る限り英英辞書でした。また、典型的な日本人ですから、ある程度わかる”読み書き“よりも、苦手な”聞く話す”ことに比重を置いた取り組むように努めました。

TOEFLをクリアしたことでまずは経済的負担の少ないサンディエゴのコミュニティーカレッジへと入学し、その後4年制への編入をしました。編入の際、上記のTOEFLを再度受けましたが、その時は試験対策などは一切していませんでした。ですが、渡米前に受けた時よりも点数が大幅に上がっていたのです。渡米前に必死で英語の勉強をしていた時より、大学の授業に出て英語で授業を受けて英語で表現しなくてはいけない環境に身を置くことにより自然と英語力は向上していたんでしょう。ある意味当然といえば当然で、前述したように英語はあくまでも手段で、日常生活から学生生活の全てを英語で過ごしていたのですから。

ここまで話してこんなことを言うのも申し訳ないのですが、私の英語力なんて大したことありません。別に完璧に使いこなしている訳ではありません。今でももっと英語が出来たら良かったのにと思うこともしばしばです。その程度でも米国で大学をなんとか卒業し、卒業後は現地で就職することまで出来ました。これから留学を考えている方々に申し上げたいのは、英語を完璧に身に付ける必要はないということです。現地に行って気付いたのですが、言葉に関してネイティブの連中でもかなりいい加減だということです。考えてみれば、よくあるテレビのクイズ番組等でわかるように我々日本人だって常に正確な日本語使いこなしている訳ではないですものね。

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<アメリカは失敗してもやり直せる場所>
在米時代を振り返ってみると、今となっては苦労したことは思い出されません。アメリカでは一度失敗したとしてもやり直す機会があります。私も失敗は何度もしました。ですが、そこで諦めてしまうのではなく、その度やり直して挑戦を続けました。もしかしたら、その過程で苦労はあったのかもしれません。しかし、アメリカで目標に向かって進んでいた私にとって失敗は成功への過程であってむしろチャンスであり、苦労ではなかったのだと思います。

そんな中、大学卒業直後、認定試験はまだ受けておらず資格は何も有りませんでしたが幸運にもスポーツクリニックへ就職も出来ました。その後働きながら認定試験の勉強を続け、サンディエゴ州立大卒の日本人留学生として初となるストレングス&コンディショニング・スペシャリスト及びアスレティックトレーナー認定資格を無事取得したのです。卒業後1年間、アメリカで目標であったアスレティックトレーナーとして働きながら、大学でストレングス&コンディショニングのインターンとして経験を積むことができました。

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<出会いが持つ強い力>
ビザが切れるタイミング、家族の事情、縁あって日本から誘いをもらったといういくつかの要素が重なり、帰国を決めました。その後は、Jリーグのサンフレッチェ広島や名古屋グランパスエイトとサッカーの世界で経験を積んでいきました。こうしてサッカーに携わってきた私が、ラグビーへ転向したのは、ある人からの紹介がきっかけです。アメリカでも強く感じたのですが、やはり人との出会いは大切だと思います。人生を左右するような岐路に立った時、人との出会いというものは常に強い力を持っているとつくづく感じます。ラグビーの世界に入ってからも、トヨタ自動車から神戸製鋼を経て現在のパナソニックに至った経緯もやはり何らかの人と人との繋がりが大きく関わっていました。そう言えば、学生時代に学校、スポーツクリニック、野球のサンディエゴ・パドレスで主にインターンとして実地研修を積んでいきましたが、これらの所に機会を得ることが出来たのはやはり人と人との繋がりによるものでした。自分の能力以上に過分なチャンスを与えられた幸運を、今まで関わってきた選手・スタッフはもちろんですが、自分の居場所が変わっていく様々な場面できっかけを授けて下さった方々にも感謝の意を表したいと思います。

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<これから留学する皆さんへ>
留学中、身を置いている環境でどれだけ自分を変えていけるかということがいろいろな意味で大切だと思います。誰にでもこだわりはあって、もちろんそれはそれで大事だと思います。しかし、自分がこだわっていることを相手が求めているとは限らないこともあるはずです。また結果を出さなければ、自分のそのこだわりを認めてもらえないことなど海外では特に顕著になるはずです。何かをやり遂げたい時、やり方は一つだけではなく、きっと常にいくつかの選択肢があるでしょう。その時に自分に都合のいいものだけに拘ってしまうと周りと上手くいかなかったり、自分の能力も狭めてしまうことにもなりかねません。自分の知らなかったやり方や、自分の苦手なやり方で出来きるようになるということは、以前よりも自分の持っている引き出しが増えたということになります。自分を変革していくということは、もちろん簡単なことではありません。そのためには、常に学ぼうとする向上心が求められるでしょう。皆が休んでいる時にでも自分はあえて努力をする行動を選択する、というある意味ストイックな部分が必要となる時もあるかもしれません。

海外は日本とは違った環境で、自分自身を形成できる場。日本にいても経験できることはありますが、海外では言葉や生活環境、人間関係等、不都合なことが多くなるでしょう。そんな中で、どれだけ自分を適応させられるか。それができるなら日本に戻った時、どのような環境が待っていてもやって行けるという自信につながるはずです。私は帰国直後、日本で社会人としてのあるべき姿を理解しておらず壁にぶつかったことが何度かありました。しかし、それを乗り越えて今までやってこれたのは、留学時代に得た適応力であったと思います。自分を変えていくことは、非常に大変な作業ではありますが、努力してそれを乗り越えた力は、留学を成功させるためにも、働く場を得て実績を上げていくためにも役に立つと私は考えます。留学経験者の一例として参考にして頂ければと思います。
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