■経歴
日大山形高 → 東北福祉大 → New Zealand institute of Sports → 東北福祉大大学院

■コーチ歴
高校:仙台高専HC・日大山形高HC・高松北高コーチ・若狭東高コーチ・日本ラグビー協会7sユースアカデミーコーチ・香川県国体代表少年の部HC・福井県国体代表少年の部スペシャルアドバイザー兼HC
大学:駿河台大監督・東北福祉大HC、アシスタントコーチ
社会人:オール宮城HC・宇都宮白楊ヴォルツコーチ
20180516162854_l
選手として野球からラグビーへ転向、ニュージーランドでのコーチ留学を経てラグビーコーチの道へ進んだ鈴木徳一さん。今があるのはニュージーランドでの2年間があったからだと語ってくださいました。そんな鈴木さんの貴重なオリジナルストーリーを紹介します。

<ラグビーとの出会い>
私がスポーツを始めたのは3歳の時。最初に水泳から始め、その後、空手と野球を加え、3つのスポーツを掛け持ちしていました。高校では野球の有名校・日大山形へ進み、野球選手としての道を歩んでいこうとしていたのですが、ふと立ち止まる瞬間が訪れたのです。当時、日大山形高校の野球部は部員数100人を超えており、練習中、何をするにもレギュラー優先で待ち時間が発生するという状況。そんなふうに時間が過ぎていくのはもったいないのではないかと思い始めた時、出会ったのがラグビーでした。親戚のお兄さんや中学時代の野球部のチームメイトがラグビーをしていたこともあり、次第に興味を持ち始めました。私の住んでいた山形では、ラグビーは高校から始めるのがスタンダート。ラグビーのルールすら知らなかったのですが、今から始めても遅くないという確信がありました。

早速、ラグビー部の練習を見学したところ、ぶつかることがルールとして認められていることに魅力を感じました。野球はプレーの一つとしてぶつかることはできますが、常にぶつかり合うスポーツではありません。しかし、ラグビーはどれだけぶつかってもよいスポーツ。こうしてラグビーに惹かれた私は、ゼロからのスタートを切ったのです。

<自由と楽しさ、そして屈辱を教えてくれたラグビー>
ラグビー部は各学年10人ほどの少人数で活動しており、チームメイトのほとんどが高校からのスタートでした。ですから、その時の目標は「花園」とは言っていたものの、どこか現実的ではないという思いも持っていました。しかし、新人戦で山形県内では一番の強豪校・山形中央に勝ったことで、意識は徐々に高まっていきました。そして、練習、プレーともに自分たちで考えるというスタイルで、自由にさせてもらえたからこそ、ラグビーの楽しさを知ることができたのだと思います。

そんな中、高校でのラグビー生活最後に悔しい出来事が起こってしまいます。3年生の県大会決勝でケガをしてしまい、花園の夢は叶いませんでした。卒業後、大学に進んでもその時の悔しさを心の奥に抱えていたのですが、1学年下の後輩たちが花園出場を果たし、よい成績を残したのです。そこで、悔しさが再燃してしまい、素直に後輩たちを応援することができませんでした。この時の経験は、後に自分がコーチになってから生かされることになるのですが……。

<コーチの道へ>
大学2年生の時、新しいコーチが来たことで、転機を迎えます。そのコーチは非常勤ではありましたが、上手く選手を動かす術を知っていました。言われたことをするのではなく、練習内容を自分たちで考えてコーチに報告するという体制が敷かれました。練習内容を考えるのが好きだった私は、その体制を好み、いつしか自分もコーチを目指したいと考えるようになっていました。

大学卒業後は、コーチ留学のためニュージーランドへ。知り合いの先生を通じて情報を集め、留学の準備をしました。教会に来ている外国人と仲良くなり英語を教えてもらうなど周りの人の協力もあり、あれよあれよと準備が進んでいったので、不安になっている暇はありませんでした。その時の英語力は、それまで進んで英語に接していなかったので、ゼロに近い状態。とにかく、コーチの勉強も英語も実践で頑張っていこうと思っていました。
nori1
<実践から学ぶ日々>
ニュージーランドでは、1年目はプレイヤーとしてクラブチームに所属、2年目からコーチとしての勉強を本格的に始めました。1年目は英語が話せない日本人がぶつかる壁に、自分もぶつかることに。練習中、チームメイトからパスが一切回って来ないのです。英語力もそうですが、体格で見下されていたのだと思います。しかし、ある日幸運が巡ってきます。メンバーが足りず、試合に出る機会を得ることができた私は、その試合で3トライを決めました。そんな私を見たチームメイトは、その瞬間から態度が一変。早速、試合後に飲み会に誘われ、その後はきちんとパスが回ってくるようになりました。それからというもの、私は練習に行くのが楽しくなり、練習前後に行う握手にも誇りを持つようになっていきました。海外では年齢や実績よりも、目の前でどれだけ結果が残せるかによって評価がかわるということを実感した出来事でした。
nori2
ニュージーランドに渡り2ヶ月が経った頃、ホームスティ先をラグビーコーチの家に変え、日々、学べる環境に身を置くことにしました。コーチは気性が荒く厳しい人でしたが、自宅ではラグビーチャンネルがずっとついていたり、コーチに付いて練習に参加できたり、学ぶことが多い毎日でした。そんな日々を振り返っても、苦労したことは思い出されません。きっと小さな不満はあったと思いますが、つらいと感じることはありませんでした。苦労よりも充実感が勝っていたのでしょう。また、ニュージーランドでは、ラグビー協会がコーチ向けにセミナーやディスカッションの場を開いており、私もコーチとしての姿、選手への接し方を習得することができました。

そして、国内リーグのラグビーチームのお手伝いができたことは、コーチ人生において財産となっています。一流選手の練習を目の前で見ることができるのは、とても恵まれた環境です。雑用などどんな仕事も一生懸命していたところ、それが認められ、アナリスト的な役割も任されるようになりました。毎週、試合のデータをまとめなくてはいけないので、眠れない日が続きましたが、そのデータを用いて試合に勝った日には「お前のおかげだ!」と言われ、心底嬉しかったことを覚えています。学ぶための作られたプログラムではなく、日々の練習、試合、コーチの日常生活にまで携わることで、スキルを身につけていったのです。
29790554_1626603827429014_1946517590567762548_n
<これから留学する皆さんへ>
練習やトレーニングをする際、ただやみくもに続けるのではなく、これは何のためにしているのか、なぜ行っているのかを考え理解することが重要です。「これがいい」と教えてもらったものを、ひたすら続けるだけでは効果は上がらないでしょう。

出会った監督、先輩コーチから偶然にも同じ言葉をかけられたことがあります。「ラグビーを正しく伝えなさい」と。この言葉を遂行することが私の使命だと考えています。ラグビーを好きになることはもちろん、自分が所属しているチームを好きになれるように大事なことを伝えていきたいと思っています。私自身は高校卒業後、花園に出場した後輩を応援することができず、晴れの舞台を観に行くことができなかった苦い思い出があります。その経験も踏まえて、たとえ自分が出られなくてもチームにとってよいことを喜び合えるような、ロイヤリティのあるチーム作りを目指しています!

【取材・文】金木有香 
【運営】株式会社インディッグ(ラグスター運営会社)